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yuuの一人芝居

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小説 秋の華



この小説は 海の華の続編である 冬の華の続編である 春の華の続編である 夏の華の続編である彷徨する省三の青春譚である。
ここに草稿として書き上げます。書き直し推敲は脱稿の後しばらく置いて行いますことをここに書き記します。

05 


秋の華 (省三の青春譚)

秋の華は黄昏が似合う、それは明日を連れてくるものだから・・・。

04

1

 死の海だった。こんな恐ろしい光景を見たことがないと省三は思った。
 寒風が波を立たせ海の上をお覆った油を拡散していた。黒い波が漂っていた。黒い帯が東に西にと流れた。海岸線には打ち寄せる油が岩にこびりついて黒く光かっていた。魚は油の海に浮かび、鳥は油だらけになって飛び立たなかった。水島はむせ返るような臭気だった。
 漁師は小船を出して魚場を守ろうとオイルフェンスを引いて止めようと必死だった。海上保安庁の巡視船が中和剤を撒きながら航行した。何艘もの消防船がサイレンを鳴らしながら沖へ出て行った。水島灘はおろか備讃瀬戸内海も油と行きかう事故処理の船で一杯だった。上空を何機もヘリコプターが飛びかっていた。騒音の中マイクの声が交錯し劈いていた。緊迫した状態が続き緊張感が漲っていた。総てが興奮の中で作業に没頭していた。
 タンクには各企業の科学消防車から中和剤が放水され、市の消防車も中和剤の散布に追われていた。消防ホースは縦横に走り零れた油の中に沈んでいた。構内の殆どが油で足の踏み場もない状態だった。オイルはタンクを取り巻く堤防を越えて海へ流れたのだった。バケツで掬いドラム缶へ移す人海戦術しかなかった。陸続と応援の人が詰め駆けていた。
 工場の玄関は押しかけた市民で埋まっていた。企業の保安係りと警察が血走った目をしてそれを阻止していた。
 新聞記者がフラッシュをたいて写真を撮ろうとし保安係りにカメラを壊された。火災になったら大変だった。
 連日海に中和剤が撒かれ、岩にこびり付いた油を手でこさげて取り、タオルでふき取る作業が続いていた。
 日本最大のオイル流失事故だった。
 省三は全国から集まった反対デモの中にいた。二度とこのようなことのない設備の改善を訴えた。水島の目抜き通りを工場へ向けて横断幕を掲げ、旗を立て、拳を突き上げ、防止を訴えて歩いた。それを警察官が取り巻きデモと一緒に流れた。衝突はなかったが言葉の応酬はあった。デモ参加者の写真は証拠写真として撮られた。こちらが警察官にカメラを向けるとプライバシーの侵害だと息巻いた。
 この事故の自然破壊は回復するまで何十年もかかると専門家は推論して言った。
 昭和四十八年の師走だった。

「これからのる物書きは行動力がなくてはらならんて゛」と言って山下は走り回っていた。彼は流失事故を題材にして戯曲を書いて載せた。風刺の効いた読み応えのあるものだった。省三も村上水軍の末裔が瀬戸内海の浄化に立ち上がると言う戯曲を書いて発表した。
 実験的な作品が多かった。テーマ主義を貫こうとしていた。合評も文章の幼拙を語らずテーマが如何に表現されているかに重点がおかれた。
「長編を書くのだったら、ドストエフスキーを勉強したほうが早いで。哲学と心理学を学んだと誰かがいっとったな」
 山下は、長編を書いている梅本女史に言った。
「すいませんわね・・・勉強不足で・・・ドストエフスキーさんは誰を参考にしたのでしょうね・・・」
 梅本も負けていなかった。
「それは・・・」と山下は口ごもった。
「山下さんの負けや、何もそんなことせんで、独自のものでええのや。模倣から生まれるのは絵だけでええのや」
 益田がそう言った。
「何だ、それなら俺の絵は模倣だと言うのか」
 武本が突っかかった。
「模倣を超えて自分の絵が描ければ立派なものだが・・・」
 山下が火をつけた。
 こんな拉致もない論争は毎度のことだった。
 「怠け者」は号を重ねていた。

「罪と罰」を読む新版ドストエフスキーの「罪と罰」 物書きの参考書は「カラマーゾフの兄弟」が良いのかも・・・。
 
 新幹線は西へ、岡山から博多の開業が始まった。
 「たいやきくん」が巷に流れていた。

 育子は省三が文学の勉強をして一日のんべんだらりと生活していることに何も言わなかった。子供が出来てから省三は育子に代わって店番をする時間は増えたが、それ以外は本を読んだり原稿を書いたりするだけだった。
 育子は大きな腹を突き出してカウンターの中でコーヒーを淹れ客の席へ運んだ。悠一は育子の母が面倒を見てくれていた。
 省三は農繁期には育子の里の農業を手伝った。田植えの後始末、稲刈りの後、脱穀機で籾を取り、籾を干してトオスで玄米にする、その過程を手伝った。作物を育てるときどのように手入れをすれば良いかを習った。手をかけたらかけただけ作物は応えてくれた。自然の恵みと作物の命の偉大さに改めて驚いたのだった。前より良くなったとは言え公害の地で花を咲かせ実をなして次へと渡す命を思った。
 育子が出産したとき、省三は十五分おきに起こる陣痛に「力め、力め」と叫んでいた。命を産み落とす感動を育子と共有していた。
 男の子だった。
「頑張ったね」
 省三が言うと、育子は腫れぼったい顔を向けて頬を緩めた。命を懸けて子孫を産み落とす女性のその勇気を思った。男には何処を探してみないものだった。
 店を掃除しコーヒーを淹れて開ける、途中看板を準備中にして育子の病院へ走ると言う生活が続いた。
「晩御飯は何が良い」
 省三は産後に栄養がいると思って育子に尋ねた。
「いいわよ、病院食を美味しく頂いているから・・・それに・・・」
 育子はそう言って窓のほうへ目線をずらせた。
 そこにはたくさんの見舞い物がうずたかく積まれていた。
「持って帰ってくれる」
「食べればいいじゃないか」
「幾らおなかが空くと言っても、こんなには・・・」
 省三はそんな会話をして持って帰るのだった。持って帰っても悠一が食べるくらいで余ってしまった。それを育子の里へ持っていくのだ。
 育子が退院した時に赤飯を炊いて祝った。
「動いたつもりでいたのだけど、こんなに大きな子が生まれました」
 育子はそう言って何時もの笑いを浮かべた。
 四キロに近い子だった。悠一が物珍しく生まれた子の頬を指でつついた。
「それより、この子の名前・・・」
「義父さんはなんと・・・」
「あなたが決めて」
「うん・・・親父さんの名前から一字貰って豊太にしては、どうだろう」
「それて良いわ、今日からあなたは豊太ちゃんよ」
 育子は寝ている豊太にそう呼びかけた。
 そう言えば父はどうしているだろうと省三は思った。時折兄の久の所にときの消息を尋ねる手紙が届くと言うことだったが、大阪で何をしているのかと案じていた。ときのことも気になっていた。喘息はどうなのか、後遺症は・・・。ここのところ久の所へ行っていないことに気がついた。豊太の首が据わったら見せに行ってと考えた。
「お父さんはどうしているのかしら・・・。帰ってきてここで一緒に暮らしてくれれば良いのにね」
 育子が心配そうに言った。
「ああ、だけど・・・。何も言って来ないと言うことは元気なのだろう。そのことを考えていたんだ」
「もう歳だし・・・。お兄さんと相談してみたら」
「ああ、何処で何をしていることやら」
 心配してくれる人がいるということを重太は知っているのだろうかと省三は思い腹が立ってきた。
「そうだな」
 省三はそう言って俯いた。
  育子は順調に回復していた。悠一も豊太も幸いなことに母乳で育てることが出来た。
 父親の情愛は子供の夜鳴きで初めて芽生えるのか、省三は父親を実感していた。おしめを替え、風呂に入れ、省三は忙しい毎日を送っていた。人の親になるという幸せを感じていた。
「勉強をして東大へ入り国を動かす人間になるより、人様の邪魔になる石を動かす人間になれ」
 省三は二人の子にそのように呟いていた。
 親になって初めて今までより人への思いが広がっていったのはどうしてか、省三はその事を感じていた。
 「省ちゃん、子供は可愛いで・・・。この子のためなら何でも出来る・・・こんなやくざな家業も・・・人様に笑われ辱めを受けても子供の為なら耐えられる・・・子供は天使・・・元気でいてくれるだけで親は幸せなのよ」
 舞台から降りて胸のあたりの汗を拭きながらそう言った踊り子さんがいたことを思い出していた。

 「怠け者」の仲間は次々と賞を受賞していた。県の文学賞はおろか新聞社の賞まで貰っていた。その受賞パーティーの段取りをするのは省三だった。受賞者がどのように付き合いをし生きたかで参加の数に開きがあった。そこを考えて埋めるのが省三の役目だった。
「ああ、そうですか・・・。ですが、ぜひ先生の参加をお願いいたします・・・。これは本人ではなく私がお願いしているということで参加を願えませんか・・・。先生の文化賞の時にはみなを引き連れ参加させていただきますから・・・」
 脅したり賺したりあらん限りの手を使い席を埋めた。
「なにももろうてないんはわいら四人だけか・・・まあ、わいは貰える様なものを書いてないが・・・賞がほしゅうて書いてないからな・・・賞を貰いたいから書いているのではない」
 山下が強がりを言った。
「あれでは無理やないですか・・・色が出すぎていますから」
 益田がそう言った。
「そうじゃ、自分の色ではなく・・・」
 武本が絵描きらしく色に譬えた。
「何が言いたいんじゃ」
 山下が大きな声を上げた。
「まあまあ、そのうちに貰えますよ。我々の勉強が間違っていないことははっきりとしているんだから」
 省三はそう言って中に入った。
 省三に随筆を書いてくれないかという話が入ったのはそんな時だった。紙面が開いたのでそれを埋めてくれというものだった。新聞社の連載で三年間「父親の育児日記」を書くことだった。
 家のこと、おじいちゃんおばあちゃんのこと、母親のこと、悠一豊太のことを書くことにした。
「それが好評だったら、小説を書いてもらいたいと言うことです」
 省三はみんなには言わなかったが小説の入選をしていた。言えば何を言われるか分ったものではなかった。特に山下が何を言うか分らなかった。
 後に中央紙の岡山版に「大風呂敷の中の小石」という世の中を風刺する随筆を書くのだが・・・。
 省三は店と子育て、それに執筆と忙しい生活をすることになった。
「大丈夫」
 育子は心配をしていた。 
 水島の空に赤い風船は上がらなくなっていた。鳥が戻り、川には魚が川上を目指していた。だが、曇った日にはかつての臭い匂いが流れてきた。

3

2

  重太は病んで帰ってきた。

近代演劇の扉をあける菊池寛「父帰る」を収録・・・是非日本の近代演劇の基を・・・。

  省三が幾らこちらへ来るように誘っても、長男のところが帰るところだといって来なかった。久に負担が増えるので省三は仕送りをした。重太は今までの罪滅ぼしのようにときの面倒を甲斐甲斐しくみた。時折四十分もかけてバスで来てコーヒーを黙って飲み、いらないと言っても代金をきちんと置いて満足そうな表情をしていた。その時の服装は背広を着て颯爽としていた。省三は昔見た重太の若い頃の正装した写真を思い出した。大地主の家に生まれ、今なにもかも失っていてもその血は争えないその姿は悠然としていた。病を抱えていても些かも品格を失っていなかった。
「達者でな」「ぼんは大きくなった」
 孫の姿を見ても何も言わず優しい眼差しを投げていた。それが重太の精一杯の愛情表現だった。明治生まれの男の心意気だった。
 重太は短く言っただけで、バス停へと踵を返した。
 重太はそれから入退院を繰り返し、久の家で亡くなった。
 ときは分るのか分らないのか手を合わせてじっと祭壇の写真を見ていた。
 省三は泣きながら「有難う」を繰り返した。
省三は重太と子供たちのことも書いた。寡黙な男の愛情の出し方を重太の為に書いた。それが省三の父重太への鎮護だった。
 重太は出奔して何をして生きていたのか語ることはなかった。戦争に行かなかった重太は国の為に海を浚渫し飛行場を造ることで戦死した人たちに詫びていたのを省三は知っていた。外大を出て経験のない土木工事をしたのだった。大正から昭和にかけて三宮の駅前に本店を置き、上海、大連、京城、台湾、香港、シンガポール、ジャカルタと支店を持ち貿易の仕事をしていた重太の繁栄は一人の支店長の使い込みで終わっていた。連帯保証人で何もかも失うと言うこととにかより、人の良さが災いしたのか、総てを自分の所為にして何も言わずに生きたのだった。                
「人は信じるもの、信じられない生き方は寂しい」
 重太はそう言ったことがあった。満足そうに言い後悔の色はなかった。
 久は重太の介護と葬儀に疲れその後入院した。
 省三はときを引き取った。
 陽だまりの中で悠一、豊太と遊ぶ時の顔はくしゃくしゃに綻びていた。言葉を失ったときは獣のような叫びを上げ左手であやそうとしていた。
 ときは夜明けに咳き込んだ。見えないが大気の汚れを感じた。おしめを外し布団を汚すことがたびたび起きるようになった。
 駄目ですよ、と手の甲を省三は軽く抓った。手の甲には十円玉のような痣が出来た。皮膚は薄く脆かったのだった。
 その痣は三ヶ月間も消えず省三を苦しめた。風呂に入れて洗っても洗ってもその痣は消えなかった。だが、そんな省三の悩みを知らずにときは幸せそうだった。
 久が退院してときを迎えに来たときは車に乗ろうとせず困らせた。無理矢理乗せて久は連れて帰った。
「これでいいの」
 育子は省三に小さく言った。
ときは重太が亡くなって二年後後を追った。
「男は両親が亡くなって初めて自立が出来るものだ」
 重太がかつてしみじみと言った言葉が省三の脳裏に蘇っていた。 
 
  省三は毎週二回戸倉と共に青年に演劇を教える為に倉敷の公民館へ出向いていた。公演が近づくと毎日出かけた。
 倉敷を題材に戯曲を書きそれを公演した。その演出を手がけていた。練習を見て、
「そこのところ少し考えよう」と言うだけだった。手取り足取りの教えはその人の成長にならないという考えだった。役者は演出の人形であってはならないと言うものだった。
 公演は百回を超えた。青年たちはハードなスケジュールに付いて来てくれた。
「怠け者」は会員がそれぞれ一人歩きをしだした。集まりも悪くなり自然に解消する形になった。

 公民館からの帰り、省三は追突事故に合った。
 それを機に何もかも捨てて生きなくてはならなかった。
 新聞の随筆連載、小説連載もそこで閉じた。
 六ヶ月間病院に通って治療したが、欝が出て二十年苦しむことになる・・・。
 
 公害闘争は子供達が小学校へ入学したことで終わりとした。人質にとられては何も出来ないと思ったのだった。

「観客が乗ってこなかったら舞台で転ぶんですわ」
 コントの役者が言った言葉を思い出した。これから何べんも転ばなくてはならないと思った。
 
 ローキード事件で東京地検は田中角栄前首相を逮捕のニュースがながれていた。昭和五十一年のことだった。
 省三、三十三歳の夏、日差しが厳しい頃であった。

 省三の青春の華はどんな色で咲いたか・・・。これからどんな花を咲かそうとするのか・・・。

 

 2005/11/15 「秋の華」草稿脱稿。
 一ヶ月間、長いあいだご愛読有難うございました。海、冬春夏秋の華は構成推敲いたし改めてここに載させて頂きます。
時を置きましてこの続編「冬の路」「春の路」「夏の路」「秋の路」を書き発表いたします。

この小説は 海の華の続編である 冬の華の続編である 春の華の続編である 夏の華の続編である彷徨する省三の青春譚である。


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